日本百名山「祖母山
大分県・宮崎県・熊本県県境 【夫婦二人でのトレッキング
2009/11/1(sun)-11/3(tue)
祖母山(1756.4m)

【登り:1日目】 「尾平」黒金尾根コース−「祖母山山頂」「祖母山九合目小屋」(累積標高差1,257m)
【下り:2日目】 「祖母山九合目小屋」宮ノ原コース「尾平」 (標高差1,055m)
     
5時30分起床
7時20分「自宅」発―四国八幡浜フェリー経由大分
16時40分「青少年旅行村」着
   


第一章 二度と登りたくない!






(プロローグはこちらから)



泣いてどうにかなるものなら思いっきり泣きたかった・・
だか・・「泣き」や「文句」に注ぐ余力などなし意識をそちらにやれば滑り落ちそうだった

八巻山の尾根(2008年5月東赤石山)で、怖さに文句タラタラ云いつつ前に進んだが・・
心の中で同じこと思いつつも・・それを口に出す余裕すらない状況であった

もう引き返すことなど出来ないし・・この岩をよじ登るしかないのならそうするより選択肢はないと泣きべそをかき乍登った
大した重さでもないザック(私にとっては重量)に後ろに引っ張られるような気がして
その状況を思い出してもPCの前で身体がすくむ
 
 
川上渓谷の美しさに感動・・・
黒金尾根コースは宮ノ原コースに比べると余り標識や目印の赤テープがなくて・・
(一般コースである宮ノ原コースの方は絶対迷わない場所にも細(こまや)かに赤いテープ等の道しるべがあった)
何度か道を間違えたり・・途中、夫のザックのポケットからペットボトルがかなり下まで転げ落ちたり・・・
はたまた・・岩を回り込む道があったのに其処に気が付かず、ロープも鎖もない大きな岩を降りるしかないと思い
足場のない岩を降りるのは無理と判断横の側面を半ば木の枝で懸垂状態で進まなくてはいけなかったり・・
自分の体重を腕で支えるのさえ難儀なのにそれにプラス8,5kgのザック・・
此処で落ちては大怪我・・イヤ・・そのまま転がれば(登りだけどこの辺りは下りの道)死ぬと必死だった・・
 
この急登とても標準タイムでは登れそうもないから
「プチ道迷い事件度々」「ペットボトル転がり事件」「ぶら下がり事件」なんて・・命名しつつ・・
「遅れの理由づけ」を考えていたが、
そんな「甘さ」が吹き飛ぶ程の頂上直下だった・・
 
祖母山の登山道と比べたら・・燕岳のそれも白山のそれも「ハイウェイ」だ・・
幾場の登山歴もないが・・・今まで登った山の中でこれ程厳しさや危険を感じた山はない・・

頂上直下で泣きべそをかきつつ・・死なないで下山出来てももう2度と来るもんか・・と思った・・
イヤ・・今でも祖母山周辺の縦走出来る山も含め・・2度と行きたくない。。
 
2004年秋夫が夫婦で出来ること(出来る趣味)をと「山登り」を提案してきた・・
山登りには正直興味がなかった(というより山登りそのものに意識すらなかった)が、
その時には人並みに体力があると思い込んでいたから

(今思えばお笑い草だけど夫と然程変わらない体力がある位に思っていた)一緒に登るのもいいかなと・・・


田舎育ち故、途中の急な登りは自転車を押して歩かなくてはいけないような山坂を中・高と6年間
片道30分、毎日雨の日も自転車を走らせ、急激な寒さで凍った(アイスバーンになった)坂道を
自転車ごと滑り落ちたこともありつつの通学だったので(当時は30分自転車を走らせやっとバス停だったのだ)
足腰はそれなりに鍛えられていたつもりで、周りの同年輩の人たちより体力が劣るとは一度も思ったことはなかった


16年前、交通事故に遭いカルテに右肩腱板断裂その他数えきれない症状名を列記され
2ヶ月半(1ヶ月半ベットに寝た切り)の入院を余儀なくされた時・・今思えば一気に筋肉が落ちたように思う。。
 
右肩の腱板が切れ右腕はまるで棒のようで指先は少し動いても自力で1mmも上げることができなかったから・・
右腕は見ためは無くさずに済んでいるけど・・半分諦めていた・・
ベットに座れるようになってからは左手で字を書く練習を始めた・・
そんな状況だから・・普通の状態であれば利き腕の方がよりついてる筈の筋肉が未だになくて
私の右肩は左肩よりも痩せているのが鏡の前に立っても容易に分かる・・
 
入院後暫くは切れた腱が自然に繋がるように右手を上げて肩に寄せベットに固定
寝返りさえも打てず1ヶ月半寝た切り状態だったから・・当然足腰の筋肉も相当落ちてる筈だし・・
(事実、寝たきりからベットを降りた日、立つことができなくてそのままベットに座り込んだ)
腰が良くないのも・・その事故でに骨盤に何か所もヒビが入る程の衝撃を受けているのだから当然のことである
(交差点で時速100kmで走ってきた車に飛ばされ、車ごと電柱に激突したのだ)
その時乗っていた新車の軽自動車は即廃車になった・・
入院した病院の主治医に新車が廃車になるような事故だったんだから当然乗ってる人間も同じですよ・・と。。
 
生きてることさえ奇跡だと云われたそんな大事故に遭い乍・・幸運にも私はどこも失わず・・
見た目は全く不自由さを感じない状態でありリハビリの甲斐もあって・・右手も日常生活には支障が無い程度には回復した
 
多分周りの誰もが・・そんな事故に遭った身体だとは思わないだろうし・・またそれを知る人たちも事故のことを忘れていると思うが
要はそんな経験があって・・脚腰の力はともかく、自信のあった腕っぷしさえも今では全然自信がなくて
登りは然程ではなくとも膝や太ももに半端じゃない負荷の掛る下り時には自分の筋力・脚力の無さを思い知る・・
 
この度(の登山)は(私にとっては)危険な個所が一杯で、この筋力・脚力・体力で山を続けるのは
もう無理ではないか・・・無理に続けることはないと・・黒金尾根コースを登りつつ何度も自問した
 
10月の「例会」に初めて参加させていただき、緩やかであっても何度も続く階段状になったアップダウンの下山に
私の膝はついていけなくて
結局は3年振りに「ひざ痛」を経験した。。
完全に克服できているとは思っていなかったが、他のこと(他の趣味)が全くできない程仕事に没頭した1年のブランクを差し引いても
もうずっと遠ざかっていた「ひざ痛」が出たのはやはりかなりショックでこんなことではとても会員の方と登る能力はないと
凄い逡巡しつつも悩んで悩んだ上での「支部友会」の入会を後悔した。
 
それでも標高差1,156m・・
登りのコースよりはマシとはいえ急峻な登山道の下山で、膝が痛まなかったこと・・
またその予感すらなかったことが
何よりの大きな救いであった
 
祖母山に登ったことは後からいい思い出になると思うよ」夫は云う
確かにそうかもしれない・・
そうかもしれないが、この先無理して(私にとって)危険なコース(のある山)に登るのはもういい・・
「一般コース」があるならそちらで充分だし・・・
「危険」を感じ乍、山登りを続けたいとは思わない
スリルを楽しむような体力も身体能力もとても持ち合わせてないのだ
 「ハイウェイ」を新緑を楽しみつつ紅葉を楽しみつつゆっくり歩ければそれで十分。。。
 
前回の「山行」に続き、またまた「後ろ向き」な山レポの冒頭なったが、暗くなって落ち込んでいるわけではないので
読んでくださった方・・暗くなったり心配したりしないでください。
 
体力も身体能力もなくとも未だ未だ「負けず」は充分残っているし(笑)
私にも人並みに出来ることは他に一杯あるし・・
此処で山歩きを完全に終わりにしようとは思ってないから。。
 
そんなこんなで・・「危険な箇所」の写真は全くないけれど・・・
記念のスナップ見てやってください。。


つづき・写真はまた明日にでも・・・<(_ _)>
 


2009/11/5 記